スピントロニクスの省エネ情報技術応用

東北大学 電気通信研究所

深見 俊輔 ふかみ しゅんすけ 教授

プロフィール

  • 2005年名古屋大学大学院工学研究科結晶材料工学専攻博士前期課程修了
    日本電気株式会社(NEC)に入社
  • 2011年東北大学省エネルギー・スピントロニクス集積化システムセンター助教
  • 2012年名古屋大学博士(工学)の学位取得
  • 2015年東北大学省エネルギー・スピントロニクス集積化システムセンター准教授
  • 2016年日本電気株式会社(NEC)退職
    東北大学電気通信研究所准教授
  • 2020年東北大学電気通信研究所教授
  • 2023年東北大学先端スピントロニクス研究開発センター センター長兼任

IoT、AI、DX など情報技術の進展に伴い、半導体集積回路のさらなる高速化、省エネ化、高性能化が社会の重要課題となっています。課題解決の切り札の一つとして期待されるのが、電子の持つ「電気」と「磁石」という2つの性質を同時に利用する「スピントロニクス」という研究分野です。

スピントロニクスを応用したセンサーやメモリーは、すでに実用化が始まっていますが、深見先生はこれらの既存応用技術を発展させるだけではなく、スピントロニクスの新たな可能性の開拓に力を注いでおられます。これまでの研究分野では考えもつかないような物理現象の発現は、将来の情報通信環境を大きく変えていく可能性に満ちています。

電子の持つ「電気」と「磁石」の
性質を同時に使う

――スピントロニクスとは、どのようなものでしょうか?

「スピントロニクス」とは、「スピンエレクトロニクス」を縮めた言葉です。「エレクトロニクス」は、電子の持つ負の電荷を制御する、すなわち、電子の電気的性質を研究する分野です。「スピントロニクス」は「エレクトロニクス」に「スピン」が加わります。スピンとは自転運動です。電子のスピンは量子力学的な現象ですから見た人はいませんが、少なくとも「電子が自転運動をする」と解釈するとさまざまな事象が直感的に理解できます。そのことから、「電子は必ずスピンを持ち自転しているようなもの」と考えられています。

負の電荷を持って自転する電子は、必然的に磁石の性質を持ちます。つまり、電子は「電気」と「磁石」という二つの性質を持っているのです。ところが、これまでは電子の電気的性質の研究は「エレクトロニクス」の分野、電子の磁気的性質の研究は「磁気工学(マグネティクス)」の分野でなされてきました。いずれも電子の性質でありながらそれぞれが別々の研究対象とされていたのです。

これに対し、「スピントロニクス」は電子の持つ電気的性質と磁気的性質を同時に使っていく研究です。二つの性質を同時に使うと、今までの研究過程では発現しなかった新たな物理現象を誘起できます。この現象を見つけること自体も十分に面白いのですが、発現した現象を上手に利用することで、これまでにない新しい応用技術で社会貢献できるのではないかと、期待も膨らみます。

東北大学 電気通信研究所 深見 俊輔 教授
「電子は電気の最小単位であり、磁石の最小単位でもあります。この二つの性質を上手に利用することで、これまで考えられなかったような社会的意義のある応用技術を生み出すことができるかもしれません。」

半導体の高速化、省エネ化、
高性能化を実現

――実際にスピントロニクスはどのようなところで使われているのですか?

すでに実用化されているスピントロニクスの応用例は主に二つあります。一つ目は「磁気センサー」で、1990年頃から利用されています。例えば、スマートフォンの方位磁針の矢印が北を指すのは、地球の磁場をセンサーがセンシングしているからです。また、ケーブルに流れる電流の大きさを検出したり、ハードディスクに記憶された情報から必要な情報を呼び出す時にも磁気センサーが利用されています。

二つ目が「不揮発性スピントロニクスメモリー」です。不揮発性メモリーとは、電源をオフにしても記憶内容が失われないメモリーのことで、パソコンやスマートフォンに使われているフラッシュメモリーなどがその代表例です。スピントロニクスの技術を応用した不揮発性スピントロニクスメモリー(Magnetoresistive Random Access Memory: MRAM)は2006年ごろから徐々に実用化されており、特に2018年ごろから実用化されている第3世代型のMRAMは性能に優れ、既存のメモリーの置き換えが進んでいます。

――MRAMはどのようにして動作するのですか?

MRAMでは「トンネル磁気抵抗効果」と「スピントルク磁化反転」というスピントロニクスの代表的な二つの現象を利用します。図は、スピントロニクス素子の代表例である「磁気トンネル接合」です。ここに電流を流すと、絶縁層を挟む二つの強磁性層の磁化(N極とS極の向き)の相対角に応じて、絶縁層を電子が通り抜ける時の抵抗が変化します。これが「トンネル磁気抵抗効果」です。そして、電流を大きくすると、磁化そのものが反転する「スピントルク反転」が生じます。MRAMは、この効果を利用し、磁石の向きが「平行」か「反平行」かによって生じる抵抗状態をデジタル情報の「0」と「1」に割り振ることでメモリーとして応用しています。

磁気トンネル結合

東北大学 電気通信研究所 深見 俊輔 教授

・磁気トンネル接合は、磁石の性質を持つ2つの層(強磁性層)の間に非常に薄い絶縁層を設けた構造。一方の層は固定され、もう一方の層は自由に向きを変えることができる。
・絶縁層は非常に薄いため、電子は量子力学的な効果によって通過(トンネル)することができる。
・2つの強磁性層が同じ向き(平行)か、反対(反平行)かによって電子が通る際の抵抗が異なる。

――なぜ、MRAMで省エネ化が実現できるのでしょうか?

その理由は大きく二つあります。一つ目はMRAMが不揮発性のメモリーであることです。半導体メモリーには、「揮発性メモリー」と「不揮発性メモリー」があります。揮発性メモリーは、電源をオフにすると記憶した情報を失います。記憶状態を維持するためには、常に電源をオンにしておく必要があり、デバイスを使っていない時でも電力を消費してしまいます。一方、不揮発性メモリーは、電源をオフにしても記憶した情報がそのまま維持されます。デバイスを使っていない時は電源を切ることができるので、省エネになります。

そして二つ目は、MRAMの記憶素子、すなわち磁気トンネル接合を配線の間に作り込むことができることです。従来の半導体はメモリーと演算回路を同じ平面上に作る必要がありました。しかし、MRAMはメモリーを演算回路の上に作ることができます。つまり、平面に並ぶ配線ではミリメートル単位で離れてしまうものが、垂直に並ぶ配線にするとわずかマイクロメートルの単位まで近づけることができます。その結果、情報を伝送する距離が圧倒的に短くなるため、省エネ化、高速化を図ることができるのです。

東北大学 電気通信研究所 深見 俊輔 教授
「スマートウォッチのようなウェアラブル端末は、高度な計算が必要な一方で待機する時間が長く、充電頻度はできるだけ抑えたい、こうした特徴がMRAMとの相性が非常に良いと思います。スピントロニクスの技術が発展すればウェアラブル端末はさらに高性能化していくでしょう。これは社会に大きなインパクトをもたらすと思います」東北大学電気通信研究所附属ナノ・スピン実験施設にて。

既成概念にとらわれない、
新たな半導体の世界を拓く

――現在、進めておられるご研究には、どのようなものがありますか?

既存の不揮発性スピントロニクスメモリー(MRAM)は、私よりも一世代前の研究者の方々が取り組んできた研究が結実したものです。私はそれを引き継いで、MRAMのさらなる発展、さらにはセンサーやメモリーに続く新たなスピントロニクス応用というものを開拓していきたいと考えています。現在進めている研究を三つほど紹介させてください。

一つは、今のMRAM(STT-MRAM)では利用されていないスピン軌道トルク(SOT)を使ったMRAM(SOT-MRAM)です。既存のSTT-MRAMは埋め込み型のフラッシュメモリーなどの置き換えには適していましたが、演算情報の超高速処理や高頻度なデータ書き換えへの耐性がより重要視される超高速のSRAM(静的ランダムアクセスメモリー)などを置き換えるのは容易ではありません。しかし、スピン軌道トルクを利用する素子を使うとその道が拓かれます。私はSRAMを置き換えられるようなSOT-MRAMの開発に取り組んでいます。

STT-MRAMとSOT-MRAMの違い

東北大学 電気通信研究所 深見 俊輔 教授

・両者ともスピントロニクスの「磁気トンネル接合」を用いるが、大きな違いは、既存のSTT-MRAMが2端子であるのに対し、SOT-MRAMは3端子である。データの書き込みと読み出しで電流の経路が異なり、書き込みの電流はトンネル層を通らない。そのためデータの書き換えを高速化でき、かつ、トンネル層の寿命を延ばすことができる。STT-MRAMの課題であった超高速SRAM並みの情報処理速度と書き換え耐性の要請に応えるものとして期待されている。

二つ目ですが、スピントロニクスの確率的な現象をコンピューターに応用し、設計思想が根本的に異なるようなものを作りたいと思っています。これまで半導体集積回路の分野では「1」は「1」、「0」は「0」で変わらないことが求められ、ゆらぎは極力排除されてきました。これは信頼性の高い計算を可能とする一方で、予測不能なランダムな結果を次から次へと出力することを苦手とします。しかし、この「0」と「1」のランダムな値の出力は、現在利用されている多くのAI計算で大量に利用されています。現在は数学的な処理で無理やり対応していますが、非常に大きな回路面積とエネルギーが必要になってしまっています。ところが、確率的に振る舞うようにデザインしたスピントロニクス素子を使うと、圧倒的に少ないエネルギーと小さな回路で効率よくランダムな出力を得ることができます。こうしたゆらぎを積極的に活用した確率的コンピューターの開発に向けて、研究を進めています。

三つ目は、人間の脳のようなコンピューターの研究です。既存の半導体集積回路が情報を「0」と「1」で表現することに対し、人間の脳は情報を「0」や「1」で表現しているわけではなく、もっとアナログ的に対応しています。また頻度やタイミングなどでも情報を表現しています。そのために、声を聞いて意味を理解する、非常に騒がしい環境で名前を呼ばれても反応できるなど、少々曖昧な問題であっても対処することができます。これらも既存のコンピューターが対応を苦手とするタスクです。実は、スピントロニクスを研究していく中で、「これは脳の構成要素のニューロンと似た挙動をする」「シナプスと似た挙動をする」といった現象を偶然に発見することができました。これらを取り入れることで脳型のコンピューターのようなものができるのではないか。そんな期待を持って研究に取り組んでいます。

東北大学 電気通信研究所 深見 俊輔 教授
「確率的コンピューターは、大きな期待が持てるのではないかと考えています。近い将来、本当に重要な技術として世の中に組み込まれる可能性があるのではないかと期待しています。」

物理現象の発見の一歩先に、
社会の未来が見える

――ご研究の今後について目指すところをお聞かせください。

半導体技術の高速化、省エネ化、高性能化は大きな社会的課題となっています。そのニーズに応えられるスピントロニクスの応用技術を開発し、貢献していきたいという思いがあります。

さらに言えば、確率的コンピューターや脳型コンピューターのように、既存の半導体技術を根本から刷新するような、新たな技術の開発も目指しています。そのために、今後もスピントロニクスによって発現する新たな物理現象を明らかにし、その応用に取り組んでいきたいと考えています。

――スピントロニクスは今後が楽しみな分野ですね。

スピントロニクスによって発現する物理現象は、「こんなことが起こるのか」という新たな発見があり、しかも、それがすぐに工学的な応用に結びつくという面白さがあります。基礎研究に純粋に取り組みながら、ほんの一歩先に社会の未来がある。それも、この分野の研究を飽きることなく、面白いと思いながら続けていける理由です。

――最後に、KDDI Foundation Awardを受賞されたご感想をお聞かせください。

私の在籍する東北大学 電気通信研究所に、KDDI財団の助成・表彰事業の審査委員を務めておられる末松憲治教授がいらしたことで、KDDI Foundation Awardを知るきっかけになりました。恩師である大野英男教授にご推薦いただいて受賞できたことは、大変光栄に思います。

企業の社員であれば、自ら開発した製品が売れると社内で評価され、満足感や達成感を味わうこともできます。しかし、大学で基礎的な研究を続けていると、手応えが得られない中で「この研究は社会の役に立つのか」と考えることもあります。経験豊富な選考委員の先生方に自分の仕事を評価していただけることは、今後の研究の励みになります。

株式会社ティアフォー 代表取締役社長 CEO  加藤 真平 氏
「賞をいただくために研究をしているわけではないですが、選考委員の先生方が認めてくださると『自分のやってきたことは正しかったのだ』と実感が湧き、大変嬉しいです。」
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