プロフィール
1997年、東京大学法学部卒業。その後、同大学大学院法学政治学研究科助手、東京都立大学法学部助教授、首都大学東京社会科学研究科法曹養成専攻助教授、一橋大学大学院法学研究科准教授、東京大学大学院法学政治学研究科准教授、米国カリフォルニア大学バークレー校ロースクール客員研究員を経て、2013年より東京大学大学院法学政治学研究科教授。憲法・情報法の専門家として政府など公的機関の委員会メンバーを多く務めるほか、情報・マスコミ業界の研究会などへの招へいも多い。
KDDI財団の審査委員として助成・表彰事業の候補者を評価していただいている、東京大学 大学院法学政治学研究科 宍戸常寿教授に、ご自身の研究の内容やKDDI財団の助成・表彰事業への思いや期待などをお話しいただきました。
社会の発展、情報の進化と共に
「法」のあり方を考える
――先生のご専門は法学の分野ですが、なぜ、この分野に興味を持たれたのでしょうか?
父が国会職員で、幼い頃から国会中継を見ていたこともあって、政治と法の関係に漠然とした興味を持つようになりました。それで、自然と法学部に進学をしました。
私が大学生だった1990年代は、東西冷戦の終結や湾岸戦争の勃発など、世界情勢が大きく変動している時期でした。国内政治においても38年間続いてきた自民党中心の55年体制が終わった時期で、こうした時代の変遷を肌で感じていたことも、政治と法への関心を深めたと思います。
最初から研究者になろうと考えていたわけではありませんでした。司法試験に合格した後、在学中は政治と法をもう少し勉法してみようと思い、実際に取り組んでみたら楽しくなってきまして、とりあえず憲法の研究をしてみることにしたのです。それがこの分野に進んだきっかけです。
――法の研究というと、どのようなことをされるのですか?
法の研究者となってすでに四半世紀が経つのですが、その間に情報・デジタルテクノロジーは急速に変化し、それに応じて社会も大きく変化してきました。そして、社会の変化は情報と法の関わり方を変え、その変遷の要所で法の研究者として立ち合ってきました。
――具体的にどのようなことに関わられていたのですか?
最初に関わったのは、NHKオンデマンドの仕組み作りの検討会でした。当時はまだ携帯電話もあまり普及しておらず、もちろんSNSもありません。主要なメディアは新聞、雑誌。そして、放送が圧倒的に強い影響力を持っていました。
しかし、1990年代のインターネットの急速な普及に伴い、世界各国でも公共放送のインターネット進出が議論されるようになり、2000年の初めにNHKオンデマンドを作るための検討会が開催されたのです。
情報通信の進化によって、メディアの主戦場は放送からインターネットへ、コミュニケーションは携帯電話からSNSへと移りましたが、主戦場は変わっても「表現の自由」「民主主義の確保」「プライバシー」という重要な社会的価値そのものは変わりません。そのため、その時々で立場や意見の対立が生じ、法的な調整が求められてきました。私たち法の専門家は、さまざまな海外の事例や過去の事例などを参照しながら、どういう法や制度があるべきかをずっと研究しているのです。
3つの視点を意識しながら、
時代の新たな課題に取り組む
――情報と法の問題に深く関わってこられた中で、先生が大切にされているのはどのようなことですか?
大きく3点あります。1つ目が「全体を見る」ことです。以前であれば通信を提供する事業者側と利用者側の関わりがシンプルで、問題点の整理が容易でした。しかし、現在のSNSを含むプラットフォームビジネスは、不特定多数のユーザーが非常に多様な目的でサービスを利用し、また発信もします。そして、SNSに集まってくる膨大な情報や投稿は、プラットフォーム事業者のアルゴリズムによってマッチングされて表示されます。
こうした状況の中で、SNS事業者を規制せよという意見はよく出ますが、規制の仕方を間違えると、目の前の偽情報や誤情報に対処するために、全く関係のない人たちの正当なコミュニケーションやビジネスを阻害してしまう懸念が生じます。
また、プラットフォーム事業者に対して情報やコミュニケーションの管理責任を負わせるべきという意見もよくありますが、それではプラットフォーム事業がユーザーよりも強い立場になることに国がお墨付きを与えたことになりかねず、さまざまな面で問題が起こりやすくなります。常にこうした全体を見ながら、適切な処置を考えていかなければなりません。
2つ目は、「グローバルな視点」です。プラットフォーム事業者にはグローバル事業者が多くいます。「日本の法制度では、こうしてもらいたい」という問題も、グローバル事業者からすると理解できない、納得がいかない部分があるのです。
例えば、日本では部落差別につながるような投稿は、人権を守る上で非常に大きな問題だというのが一般的な常識であり、明示されない「タブー」として位置づけられていますが、海外の事業者にはその認識はないのです。こうした日本の常識を認めるのなら、他の国の文化や諸事情にも対応しなければいけない。それで「表現の自由」や「民主主義」が守れるのかとなります。
情報のグローバル化によって、日本社会の伝統的な価値観や法に対する考え方を見直し、きちんと説明しなければならない面もあるのです。
3つ目は、「多様な学問分野の融合」です。SNS上での偽情報、誤情報の問題について言いますと、法の専門家は「表現の自由」や「プライバシー」を守るために、法的な規範や外国の法制度などを参照しながら議論しますが、それが本当に適切な解決策なのかは、常に厳しく自分に問い続けなければいけないと思っています。
例えば、情報通信分野のサービス向上には、経済学や社会心理学に関する知見も必要ですし、生成AIの画像や動画に対しては理工系の知見も非常に重要になってきます。私が座長を務めた政府の情報流通に関する検討会でも、さまざまな分野の研究者や実務者の方に入っていただきました。そして、それぞれの専門分野での知見を組み合わせることで、新しい知を生んでいくという点を大切にしています。
――お話を伺っていますと、情報と法に関する問題は複雑で対応が非常に難しいと感じます。
実は、情報と法の関わりの問題は、人類の歴史の中で何度も繰り返されていることなのです。新たなコミュニケーション手段で社会が大きく変革し、結果として社会を悪く変えていくこともありますが、その度に適切な策を講じることで、その後の社会が豊かになり、人類は発展してきたのです。
歴史が繰り返される時に、過去の知が生きる部分、過去の知で対応できずに新たな方策を創発しなければいけない部分、その両面を考え、法はどうあるべきかを発信するのが私たち法の研究者の仕事だと思っています。
法や情報に触れていく機会を提供し、
“巻き込まれ人材”を育てていく
――最後に、先生のご研究分野での人材育成についてお聞かせください。
研究者というのは、自分が楽しいと思うことを研究するものです。私自身も、先輩の研究者から誘われて法と情報の分野に興味を持ち、関わるようになりました。言い換えれば、“巻き込まれて”ここまできたのです。新たな人材を育てていく上では、その研究に興味を持つきっかけが必要です。
往々にして研究者は、社会が直面している課題と遊離することがあります。だからこそ、法の学問と社会の現実の問題の両方のインターフェースとなるような研究者が、接点を創出することが大事だと考えています。
私の授業や演習でも、デジタル問題に詳しい弁護士やテクノロジーを社会実装するスタートアップを支援する弁護士、AI研究者などを大学に招き、学生たちと議論する場を作るようにしています。こうした経験を提供することで、将来研究者になる人、あるいは弁護士や官僚になる人など、幅広く情報や法に関わる人を巻き込み、ここから“巻き込まれ人材”が育ってくれることを期待しています。
さらに、究極を言えば、法や社会のルールは全国民の生活に関わる問題です。国民一人ひとりが日本の法について基本的な理解を持ち、公共的な問題に声を上げていくことが重要だと思っています。
そのために私たちは子どもたちの法教育に携わり、基本的なものの考え方や議論の仕方を教えています。そして、彼らにどのような形であっても法との関わりを持ってほしい。広い意味での“巻き込まれ人材”となるといいと思うのです。SNSなどで発信される情報を正しく理解し、正しく発信していく、また正しくない発言には悪いと発信することが、世論や社会のルールを作っていくのです。
助成を通して、
多様な“巻き込まれ人材”を増やしたい
――KDDI財団の助成・表彰事業の審査委員をされています。審査の際に心掛けていることはありますか?
助成・表彰事業の内容を「研究助成」「社会活動等の助成」「留学助成」の3つに分けてお話しします。
「研究助成」については、それぞれの研究分野においてどれくらいの価値があるのか、また、その研究がどのような社会的インパクトを与えるのかを審査に反映していくことを心掛けています。
「社会活動等の助成」については、成果主義的なものよりも、今後の活動の土壌を広く培養する、育てるという観点から投資するイメージで審査を行っています。また、そうした助成の事例を示していくことで、助成の応募が増えることを期待しています。
日本は消費者や地域社会を主体とした公共活動が、非常に弱いと感じています。これは、健全で成熟した民主主義社会を築いていく上で非常に大きな課題でもあるのです。
「留学助成」で日本への留学生や海外に留学する日本人研究者、海外での社会支援活動を助成することは、日本のソフトパワーの構築にもつながるものだと考えています。その意味で有効な取り組みであることを意識しながら、審査を行うことを大切にしています。
――審査委員として感じることをお聞かせくさい。
研究には、真理を追求し、知を社会に還元するという共通した大きなミッションがありますが、助成の審査に当たって評価・表彰する価値基準は、学問分野ごとに一様ではありません。私は法学の分野での評価方法を他の学問分野の先生方に説明し、他の先生方からもそれぞれの専門分野での評価の仕方を教示していただく。このプロセスが非常に楽しいのです。
また、社会支援活動の助成では、応募者の企画内容に私自身が教えられることもあります。最初に見た瞬間は「えっ?」と思うのですが、内容を読んでいくうちに「なるほど!」というものが出てきます。毎回、どんな提案があるのかが楽しみになっています。
――今後のKDDI財団の助成・表彰事業にどのようなことを期待されますか?
助成によって幅広い分野の研究者が育てば、それぞれの分野における “巻き込まれ人材”予備軍が増えていくことにもなりますので、ますますこの事業が発展することを願っています。
大学の基盤的な経費は削減傾向にありますから、研究の経費として機能するような使い勝手が良く、頼りにされる財団の活動を続けていただきたいと思います。